妄想映画プロダクション

妄想した映画を書いていこうと思っています。

私は「使えない」という表現が嫌い。

映画の話から少し脱線します。

 

私は、大学卒業後に関西から上京しました。

就職し一般企業に入社してすぐに色んな所で

誰々が「使えない」「干されている」などといった表現をよく聞きました。

以前から、関西で学生時代から聞いたことはありましたが、

社会人になり身を置く競争社会では日常的によく使用されています。

 

私は、この表現が嫌いです。

 

この表現が嫌いな人は、そのレッテルを実際に貼られた人、親しい人がそういった表現をされていて不快に感じた人など色々いるかと思います。

 

私がこの表現を嫌いな理由は、

○だいたい「使えない」と言っているのは、ある側面からの判断であって、全てを否定するに値しないと思うから。「使えない」が使われる場合、「彼は〜は良いのだけど…」といった前置きは大抵の場合ない。

 

○「使えない」「干されている」と言っている本人の「使える人間」であるという自意識が鼻につくから。多くの人の場合、いかなる状況や環境でも「使える人間」というわけではなく、今置かれている状況では使えているだけという場合が多い。

 

○「干されている」といった表現を使う場合、安易な予測に過ぎない場合が多く、実際は他の様々な外的要因などの影響もあり、そうなっていることが多いから。担当を外されたAさんの場合、担当側との相性、他の人事的兼ね合いといったことも考えられる。もちろん、Aさんの責任がかなりの比重を占めている場合もある。

 

○そもそも人に対して、そのような表現をすること自体が不快。

 

 

 

上記のようなことは、社会人になってすぐに気づいたのですが、

先日、関西の番組を観ていてあることを感じました。

 

■東京のテレビ番組の場合

コンビでも面白い芸人、人気のある芸人だけを出演させる。

 

■関西のテレビ番組の場合

コンビで出演させる。

 

という傾向があったように思います。

データを取った訳ではないので、主観での話になります。

どちらが良いという話ではなく、そういう傾向があるように感じます。

 

番組の席には限りがあり、使えるコメントや出番にも限りがあります。

全く面白い発言もせず、人気もなく座っているだけの人にお金を払うのは経済的論理から言うと無駄なコストになります。ですので、関東の作り方はもちろん理解できます。「使えない」人は切り捨て、選りすぐりの精鋭軍団ということです。これは東京に限らず、どんなことにも当てはまる勝つ為の手段です。

しかし、芸人はコンビの場合、2人。トリオの場合、3人。ピン芸人の場合、1人。と最小単位があるはずです。

バラエティではその最小単位は分解され1人となります。

バラエティは漫才という形式とは違いあるとしても、志同じくデビューした2人の内1人だけが仕事が増え、温度差が出て、コンビ解散という結末は、理由はあるにせよ非常に悲しく思います。

分解出演は経済的にも、経歴的にも、交遊的にも差は広がります。

解散しなくとも、売れっ子じゃない方は、荒んだ生活を送り、酒浸りになったり、問題を起こしたりして、更に業界から離れていくことも多いです。

 

一方、関西はなぜコンビ出演が多い傾向にあるのか。

事務所的な要請や、様々な要因があるとは思います。若手の売り出し中芸人が多いので、コンビの方が心強い等といった理由もあると思います。

ここで上記の「使えない」という表現が関係する文化、つまり関西の特殊な文化が関係するように思ったのです。

 

関西弁で「使えない人」に変わる言葉は

「使えない人」→「あかんやつ」

になるのかと思います。

もちろん正しい直訳ではありません。

 

実際の直訳は「使えへん奴」になると思いますが、

関西でのニュアンスやその人に対する接し方も含めると

こちらの方がしっくり来る気がします。

「あかんやつ」「あかんやっちゃ」という表現には

ニュアンス的にやれやれと言った意味と、

駄目なものを可愛く思ったり、面白がったりする意味があります。

ネットスラングでも「これはあかんやつや」と

面白がって使ったりしています。

これあかんやつやとは - 意味/元ネタ/使い方|ネットスラング

最近では、戦後の東映京都撮影所の逸話などを取材し集めた『あかんやつら-東映京都撮影所血風録』という本も出ています。この場合の「あかん」は仕事のできない駄目なやつではなく、色んな意味でヤバい、法的にアウトといったことを古き良きものとして敬意を込めています。

 

あかんやつら 東映京都撮影所血風録

あかんやつら 東映京都撮影所血風録

 

 

「あかんやつ」という言葉の中には、「使えない人」が意味する仕事ができない駄目な人という意味も含みます。しかし、その他に上に記したようなニュアンス的にやれやれと言った意味と、駄目なものを可愛く思ったり、面白がったりする意味も含むのです。

 

「使えない」と判断した場合、「干す」というのは、東京に限らず戦術的にスタンダードかもしれません。しかし、関西のように「あかんやつ」と捉えれば、「面倒みてやろうか」「ほんま、あかんやっちゃな〜笑」と愛を持つこともできるように思うのです。少なからず、こういう捉え方、見方が、番組作りに現れているように思います。

 

一番冒頭に書いた「使えない」という表現が嫌いな理由は本音です。

加えて、関西で育ち、このような「あかん」の捉え方に慣れ親しんでいるからそ余計に上京して、そのような表現に嫌悪感を抱いたのかなとも思いました。